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2013年1月16日 (水)

宗教という名の空虚








神を創り上げ





宗教を創り上げ





それを信じ 生きて 何とする









其方とは・・・  なんぞや 












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メッセージ」カテゴリの記事

コメント

人間は
何故   信仰  信じることに  「形」 を 欲したのでしょうね・・・
神 というエネルギーを 型に押し込めて 留めておきたい・・・
強い畏怖が いつしか 恐怖や執着となり
その 神のエネルギーの恩恵を受け取ることができるのは
自分達だけだと思い込み
そうしてどんどん 神とは 真逆のほうへと 流されていってしまう・・・
かつて「聖地」と呼ばれた地には もはや 神のエネルギーなど
存在しないし この世の どの地よりも 低い波動で満ちている。。
「聖戦」という言葉は 神様の辞書には ありません。。。

読ませて頂いて、「う~ん」と想いました。

何かを信じることで、力が湧いてくる場合も、悲しみや苦しみから救われる場合もあるのでしょう。

何かとは、神なのか、自分なのか。それとも、別のものなのか。

ただ、わたしが感じていることは、眼に映るもの、手で触れることができるものを ただ信じてしまっていることへの違和感なのです。
どうしてかはわからないけれど、子どもの頃から、違和感があります。

神さま、信じるべきパワーは 眼には映らなく 万人にわかる形などないのかなぁと。
どうなんでしょう?

自分では どうしようもない事が起こったとき

形ある 何かにすがりたいと言う気持ち わかります

  (形在るほうが 集中しやすいのだそうです)

その心の拠り所が 宗教と言う組織に繋がった時

本来の宗教性と 違ったものになってしまう様な気がします

  (自分の心と しっかり向き合う事が難しいから 意識は流されてしまうのか。。。)

僕は この世にある すべての宗教には まったく興味がありませんconfident

所詮 どっかの誰かが 自らの考えで創り上げたもの(笑)


神や仏は存在すると思いますshine

でも それらを慕って生きたとして どうなるでしょう・・・

何故 神や仏は 姿を見せず 無言のままなのでしょう・・・

それは  自分で生きろ  という事なのでは?


自分で生きろ  自分を生きろ


神も仏も もとは 人間と同じ魂・・・

魂の先輩として いつでも 私達のことを 

あたたかな眼差しで 見守っているような気がします・・・confidentshine


私が個人的に崇拝している神は、正しさや間違いといった概念を およそ持ってはいません。

というのは、間違い 正しさ 悪行 善行 そいった判断や概念を生み出したのは、まぎれもなく人間そのものだからです。

私はこの世に存在する宗教の殆どが 歪んだもの に見えて仕方がない。と、いうのは

「私を信じれば、その庇護を与えよう」 という条件付きに神というのは、無限の愛であるはずの神には似つかわしくない。

「私の法を犯せば、地獄という懲罰を与える」というのも条件付きのものです。


この条件付き というのは いかにも人間の考えそうな事です。

故に この世の宗教は ある一定の人間達によって歪められた人造の神 と私は思っています。

神の姿は 全てから一つへと集約される同時に、一つから色々へと分割されている と考えます。

それを 人間風情のちっぽけな頭の中身の論理の中で、あれが正しく、これは間違い とか

そういった判断をしてしまうことは、非常にナンセンスだと思います。


ま、今 この世に受け継がれている宗教の殆どは、確かにその教義については悪いものばかりではありませんが、一定の誰かが、自分の都合よく 人を動かそうとするための道具 もしくはプロバカンダなのでしょうね。実質は

そういう意味では、信仰をしているのではなく、人間の政治をしていることに自分達は気づいていないのかもしれませんね。

神なんて、困った時の神頼み 自分の力で出来ることは 自分でやるスタンスでいいではありませんか

clover モズ氏shine

ありがとうshine


あなたの 『 曇りなき眼 』 で感じた その想い その言葉

素晴らしいですshine 

此処に表現してくれて ありがとうshine


僕は この記事のように すべてを言葉にして表現するのが苦手でして・・・(笑)

モズ氏のコメントが 僕の想いも表してくれているので 感激しましたconfidentshine


いえいえ

ですがね、「私は無神論者だ。宗教や神の存在を信じない」

といっている人もね。

熱狂的なある宗教の信者なのですよ。

それは「現実的人間社会」という名の宗教の信者なのです。

その宗教の最高神は「社会」です。

「君のあり方は、社会的には駄目だ」とか、「文明社会的であろう」とすることに固執しているではありませんか。

自殺するほどに自分は苦しんでいるのに「社会に合わせれば、きっと幸せになれる」または、「不幸になることはない」ということを疑いもなく信じているではありませんか。

まるで、ジハードで自爆テロを働く若者のようにね…

いやに社会的ということにこだわる人、「非科学的なことは信じない」という人

これらは、いうなれば「可視的唯物科学主義」もしくは「文明主義」という宗教の信奉者なのだと思います。

彼らにとっての「最大の異教徒」は、「文明社会的ではない人達」です。「資本主義」もそう思います。
「反資本主義」から、血相を変えて「資本主義社会」を守ろうとします。

まあ、この「現代の文明社会」も「宗教」であるということは、またあとで…

シュウキョウには2つあると思います。 宗教 と 集狂 です

clover モズ氏shine

おぉshine それも解っていたのですねnote

その両者に属さない『モノ』がこの世に在ると思うのですが

モズ氏は それは何だと思いますか?confidentheart04


逆にお尋ねしたいです。

結論からいえば「まだ、俺には分からない」ってのが正直なところです。

と、いいますのはその陰にかくれた原理には「依存」というものがあるからだ、と思います。

「依存」と聴き、私は最近まで「依存する自分」というものに随分と苦悩しましたが、「人間はアンバランスな存在で、何かに依存してしまうように出来ているのでは?」と思いました。

そんな、ある日 本屋でダライ・ラマの著書を何気なく取ったら、「人間は今生において、相互依存を学ぶために生きている」という言葉が書いてありました。

私の信ずるもの のこの世の世界感の一つに
元々 魂は神と一つの存在で まあいうなれば 全知全能であり 最高の調和を生み出すことも可能だったのでしょう。全知全能というのは、まだ その真意を良く説明できないから あえて使いますがね。

まあ、その神の一部だったわけです。つまりは全ての魂は光の存在でしたが、どういう理由か
その光は自分が一体何者であったのかを再認識するために、闇を知る必要があったと、

そして、とりあえず、自分達は神の一部であったことを一旦忘れ、生という陰と陽が交錯する体験を通して自分が一体何者であったのかを思い出し、自己を再認識するために人間として生まれた。と

その観点からいえば、この人間というのは非常にアンバランスで仏教の目指すところの「中庸」とはほど遠い存在。でも、自己を再認識するための体験のために「人間に生まれる」ことを選んだのです。

端的に「依存」といえば、全ての人間が何か依存しています。まず「生への執着」これは「生きている状態への依存」と考えることもできます。「死にたい」とばかり考えるのも「死を越えたところにある安息」という考え方への「依存」
私が女の人にこだわるのも「女体、女性そのもの、耽美、魅惑、快楽、情愛への依存」であるでしょうし
「仕事一徹の人」というのは、外見や聞こえはいいがどうかすれば、ワーカーホリックの一種のようなもので「仕事への依存」と考えることもできます。
資本主義は肝心なる「生産物への品質」を殺してでも「現金」こだわる「お金への依存」と捉えることもできるし

社会主義にしても支配階級は「支配思想への依存」、文句をいいながらもそれに支配されることを選び、異を唱えないのも「支配されることへの依存」と考えることも出来るかもしれません。まあ、この場合 実際に行動したかどうかはかなり分かりやすい形で現れる社会形態ですがね。政治犯として処罰された人が、行動を起こした人なのですから

それと人間そのものが「依存しないと生きてはいけない性質」に生まれついています。動物にしろ植物にしろ外側からのエネルギー源に頼らないと生きてはいけないからです。つまりは「食べることへの依存」です。

そういう部分では人間の本質の一つに「依存」が組み込まれていると考えることも出来ます。

その「依存」から脱却する方法を見つけるため、大昔から聖人や哲学者はその頭を悩ませてきたと思います。大概のものはその答えを見つけられぬままに死んでいきました。もしかすると、それを見つけて公言すべきことではないのかもしれません。まあ、別に公言してもさしつかえはないのでしょうが

まあ、人間の本質の一つが「依存」であったなら、そりゃあ「何かの宗教や思想に対する偏執」ぐらいはするでしょうな。

でも、「両者のどちらにも属さぬもの」という存在も、きっとあるだろうとは思います。私がただ見つけていないだけで。

ただ、「負の中庸」という意味合いに近い存在が地球にはいます。

ウィルスです。

これは 実は殺しようがないのです。なぜなら、「半分が生命体であり、もう半分が物質」という生命なのか非生命なのかが分からない存在らしいです。ですが、破壊はできるようです。

ウィルスを殺すというのは、適当ではなく ウィルスは破壊するものなのだそうです。

ただ、このウィルスも他の生命体の細胞に依存しないと、自己を増やすことの出来ない「依存体」のようです。


clover モズ氏shine

こんばんはshine

モズ氏の言葉は 心に響いてくるconfidentshine

僕自身も 探し出せば 依存してるものが沢山出てくるでしょう・・・


先のコメントに書いた どちらにも属さないもの それは・・・

愛の人 だと 僕は思っています。

愛の人??  きっと、疑問に思うでしょう・・

説明するのが難しいのですが、例えて言うなら 

100%愛になった人 魂がすべて愛で満たされた人・・・

以前、僕は女神と出逢いました。

その女神の姿が そうだったのです。

何かを教えられたのではなく 僕がただ 感じただけですが。。。

きっと、人も 生きながらにして あの女神のように成れると

僕は感じました。

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